植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。
神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。
よく注意して、わたしたちの働いて得た成果を失うことがなく、豊かな報いを受けられるようにしなさい。
人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
主よ、いつくしみもまたあなたに属することを。 あなたは人おのおののわざにしたがって 報いられるからである。
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。
そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。
神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛を、お忘れになることはない。
ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。
もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、
わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。
賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。
また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。
いちじくの木を守る者はその実を食べる、 主人を尊ぶ者は誉を得る。
だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。
たといあなたがたに、キリストにある養育掛が一万人あったとしても、父が多くあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音によりあなたがたを生んだのは、わたしなのである。
いったい、自分で費用を出して軍隊に加わる者があろうか。ぶどう畑を作っていて、その実を食べない者があろうか。また、羊を飼っていて、その乳を飲まない者があろうか。
人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。
そこでこの者にも、『では、あなたは五つの町のかしらになれ』と言った。